日本人は対等な人としての平等意識を養わねばならない http://8729-13.cocolog-

nifty.com/blog/2012/12/post-7bfa.html


徳育と体育によって、日本の子どもたちは徹底的に秩序を守るように仕込まれます。
   秩序を乱す発想や行動は許されないわけですから、考え方としてはすでにある社会

構造の中における上昇を願うようになります。もともと特権を持たない一般の人々は、ユ

ニークな発想や考え方をすることではじめて逆転の可能性が生まれ、成功や自己実現に近

づくことができます。しかし日本の教育は、そういった自由な発想や考え方をあらかじめ

潰してしまうのです。

   その結果、特権を与えられていない多くの人々は、「東大を出て官僚に」「有名大

学から大企業へ」といった既に敷かれてあるレールの上でしか、成功や自己実現を考える

ことができません。キャリア官僚は無理でも、せめて地方公務員に、東電には入れなくて

も、せめて東電の下請け企業へ、と既存の秩序にしがみつこうとするのです。つまり、自

分たちを縛っているピラミッド構造の一部を進んで担おうとするのです。

   こうして、日本の封建社会は維持されていくのです。
   そしてこれこそが、日本人に元気がない最大の理由でしょう。
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-68a9.html



政治哲学では伝統的に政体を三つに分けてきました。一人が統治する君主制、少数人が統

治する貴族制、全員が統治する民主制。現在の日本の「議会制民主主義」と呼ばれるもの

は、少数人の国会議員が統治しているわけですから、政体としては貴族制です。しかも、

二世、三世の議員が増えていますから、本当に〝貴族〟制ですね……。


 大学で哲学を講じる際、政体が話題になるといつもこの話をする。学生は割と驚く。そ

して実は私自身も驚いている。我々は「民主主義」という言葉を平気で日常的に使ってい

るが、それが何なのかははっきり言って今もよく分かっていないからである。
http://ameblo.jp/philosophysells/entry-11337899612.html



本来第2次世界大戦に敗北した時点で、日本人は自分たちのあるべき姿について根本的に

考え直すべきだった。それは明治維新以来の混沌と闇雲な暴走を反省し、成熟した国家を

作り上げるいい機会だった。でも、このときも日本はGHQの指示を無批判に受け入れ、そ

のお情けにすがって生きる道しか選びませんでした。それでも冷戦に対するアメリカの政

策で日本には多額の資本が流れ込み、まじめな国民性もあいまって世界が驚嘆するような

復興を成し遂げられたわけです。でも、団塊の世代の人たちは、この間の国の経済発展を

自分の創意工夫、努力の結果と信じ込んでしまっている。違いますよ。努力の結果なんか

じゃない。日本人は戦後ずっと大きな船に乗って、他力本願で川をさかのぼっていただけ

。自分自身は何もしていない。何もしなくても地価も株価も上がり、小金を銀行に預けて

おけば誰でも利益を手にすることができた。でも今、上流に至り、水深が浅くなったため

に船が座礁してしまった。それでも上流に向かおうとするなら、今度は自分で泳ぐか歩く

かしかない。でも今までただ船に乗っていただけなので、自分では泳ぐことも歩くことも

出来ない。それで、以前はうまく行っていたんだから今後もうまく行くはずだ、といい加

減に制度疲労を起こして見直しが必要な国民皆保険や年金、旧態依然とした政治システム

にしがみつく。つまり100何十年もこの国は何も考えてなかった。国のあるべき姿につい

て議論してこなかった。そこが問題なんです。
http://www.kaigaiseikatsu-supli.jp/message/series01/page7.html

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社会民主主義は、ヨーロッパの労働者と資本家の妥協の産物として生まれてきました。修

正資本主義です。日本ほどマルクスやレーニンの書物が読まれていない北欧三国や、ルク

センブルク三国などに社会福祉国家が育っています。それは完全な共産主義国家を嫌った

結果でもあるのですが。
 要は、労働者として自覚した国民が育っているか、いないかだと思います。共産主義=

赤だというレッテルの中で日本人には、共産主義国家の失敗(ソ連崩壊)が大宣伝されて

きましたし、労働側でも資本のパートナーてきな考えが蔓延っているからだと思います。
 社会民主主義政党を自分達の敵だと思わせるような仕組みが、あるからかもしれません


 自分達が権力を取る、労働者の権利意識が芽生えるか、覚醒が始まれば十分日本でも育

つ土壌はあると思います。
http://okwave.jp/qa/q4975645.html

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日本のドラマを見ればわかりますが、水戸黄門をはじめとするエンターテイメントは、外

部から来た便利屋さんが悪代官を倒して状況を変化させはしますが、大衆がその便利屋さ

んに報酬を渡したり、便宜を図るという描写は一切出てきません。また、大衆が自ら立ち

上がって、悪代官を倒す物語も存在しません。何故なら、悪代官を支持しているのは悪代

官に便宜を供している越後屋と、越後屋で働く市民や、越後屋に商品を卸している大衆と

、悪代官の下で庇護してもらっている大衆がいるからです。

 そうした人間関係を壊してまで、大衆は状況の改善を望まないわけです。 

 そうした日本の安全性や政治的方向性に対して、日本人は無知で学ぼうともせず、親に

甘えから反抗ばかりしている12歳のままで今日まで来てしまいました。なぜならば、誰か

を敵に回したり、自らの手を汚すことは「穢れ」に当たるからです。

 日本の社会においては、政治を語ることはタブーとされている現実がその状況に拍車を

かけることとなります。

 そして未来において現実の問題となる少子化や、後期高齢者医療問題という未来の問題

に対して、明日のコメの問題よりも今日のコメの問題にしか興味がない、状況の変化を拒

むムラビトは政治を忌避し続けて、今日の状況を招いたわけです。

 その結果政治投票の場は、メディアに露出した人や、報道番組と言った世間醸成装置に

左右されることとなりました。
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20100703/1278085850


ドイツ人「日本人はエリート大学生でも議論ができない。主体性が無い。終わってるわこ

の国」:哲学ニュースnwk http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/3935540.html

@nwknewsさんから